終日暖気

    *大抵ネタバレしてとんちんかんな映画の感想など*

    ハンナ・アーレント  

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    『HANNAH ARENDT』 2012年 ドイツ、ルクセンブルク、フランス

    初見。
    うーん、いろいろ考え込んでしまった…。

    彼女はなるほど、哲学者だ。彼女の強さは哲学者の強さだ。
    当時、あの状況でああいう言葉をきちんと発言し通した彼女に畏敬の念を覚える。

    ハンナからすれば、彼女の裁判傍聴についての思考に対し、「お前はアイヒマンを擁護している」という抗議はあり得ないものだ。映画を見ていても、どこをどう解釈すればそうなるんだという感じ。
    自分たちが求めていたこと、彼女に言ってほしかったことと、実際彼女が言葉にしたことがまったく異なるからって激昂されても・・・という。そもそもの人選を間違ってるよ、というか。だって、哲学者なんだもの彼女は。
    「みんなが過ちを認めろと迫るけど、なにが過ちか言えないのよ。凡庸な悪は根源的な悪とは違う。
    あの悪は極端だけれど、根源的ではない。深くかつ根源的なのは善だけ」
    という台詞の、深くかつ根源的なのは善だけというのはなんとなくわかる気がした。

    しかし、同時に、クルトやハンスの言うこともまったく正しいと思う。
    ハンナと彼らはそれぞれモノのみかた、あるいは見ているものそれ自体が違う。
    だから永遠に平行線をたどるしかない。と思う。


    「今世紀に現れた根源悪は、(それまで西洋で悪とされてきた)利己心によるものではなく、
    人間を無用の存在にしてしまう悪である。全体主義の最終段階で絶対的な悪が現れる。
    もし全体主義がなかったら我々は根源的な悪など絶対に経験しなかった」
    ここは、うーん、果たしてそうだろうか、と、思っちゃった。
    全体主義じゃなくても、常に在るものじゃないのか。人間を無用の存在にしてしまうものって。
    人間そのものに、常にいつでも鎌首もたげてくる勢いで潜んでいるものの一つなのでは。
    全体主義という政治形態がその覚醒をおし進めるのに貢献したということ?
    いやしかし、根源的な悪はやっぱり常にどこにでも在ると思ってしまう。
    もちろん自分のなかにもきっと隠れて確実にある。
    自分が何をするかなんてわかったもんじゃない。
    自分はいくらでも極悪非道になれるのではないかという恐怖を感じる。だから戦争はいやなのだ。
    そもそも善・悪って…とここはもう止まらないアレに入っちゃうな。

    「想像を絶する残虐行為と彼(アイヒマン)の平凡さは同列には語れない」
    これも、そうだろうか、としばし考え込んじゃった部分。哲学的見地と現実の乖離というか。
    「これはひとつの解釈ですよね?」という編集者に、「真実よ」と言い切るのも、そうなんだろうか。解釈じゃだめなんだろうか…とか。
    考え込んでしまう中、唯一ほっとするのは 彼女の夫ハインリヒの言葉だったかもしれない。

    というわけで、一度見た限りではもやもやしたまま終わりました。
    ドイツ語も英語もだめ、彼女の著作も読んでいない、西欧諸国で生きていない、当時を知らない、かの裁判についても知らない、ハイデガーも読んでいない、(なんかこう書くともうどうしようもないって感じだワ) というような自分にとっては、字幕でどこまでこの映画で使われている言語の本質、意味を理解、納得できているのかさえ甚だ心もとないし。

    うーん…

    category: 映画感想

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