終日暖気

    *大抵ネタバレしてとんちんかんな映画の感想など*

    裏切りのサーカス  




    『Tinker Tailor Soldier Spy』 2011年 イギリス・フランス・ドイツ

    初見。
    うーむ、わかりにくかった・・・(←ほんとに原作読んだのか?)
    のっけ、ジョン・ハートのコントロールが出てきたときは拍手喝采でしたけど。彼ってなんてハンサム!!

    heart

    男たちの着こなしが、ことごとく素敵でした。
    あと、イギリスのお空の重たい灰色が寒々しかった。
    これが大英帝国の、エリートたちの疲弊した心を現しているのかなと思いましたが。
    かつて世界を支配した超大国…。過去の栄光。
    (わかりやすい支配の変遷図。まぁ、植民地側からしたら冗談じゃないて話ですけど)

    原作にがっつりはまり込んでしまったので、ちょっと映画を見るの躊躇しないこともなかったんですけど、やはり読まずに我慢してこちらを先に見ればよかったと後悔しました。
    (同じ監督の『僕のエリ』も原作が先でしたけど、そちらはかえって映画に感激したのですが)
    自分が好きなシーンや台詞、勝手に感じた何かが、映画ではほとんど取り上げられておらず、
    あぁ、この脚本家とは重きを置くとこが違うのね…なんてガックリきたりして。(ほんとに勝手!)
    たとえば、コニーの台詞の削り方。え?あそこ入れないの??大事やん。とびっくり。

    でも、あれだけの緻密でみっちりとした小説を2時間余の映画にするのは大変。
    映画と原作はあくまで別のもの。そう考えて見なくちゃだわ。



    ここのシーンは原作同様、ハラハラどきどき。

    しかし。
    (以下、個人的心の叫び悪しからず

    ひどい。

    ぎょっとした。
    なんなんだ、あのアンは。(おかげで目が覚めた)

    「メリークリスマス、アン」

    ええ!?アンてこのひとが????
    誰かが酔っ払ってパーティに連れてきちゃった街の女のようでは~~Docomo_kao20

    そう思って見るからでしょう。
    スマイリーが彼女を見る目の冷たいこと。
    どうにもメロメロってわけでも疑心暗鬼ってわけでもない、どこかモノを見るような目。(に見えてしまった)
    監督、アンなんてどうでもいいと思ってるのかも。

    さらに。
    ジム・プリドーねぇ…
    あのフクロウはひどいな。
    原作と映画を比べるのは無意味ですけどねぇ。
    子供たちを怯えさせる男なんて。
    原作と人格を変えるのはやめてほしかった。
    (なにしろ、ル・カレにはまって最初に好きになった登場人物はジムなので)

    スマイリーは終始氷のような冷やかさ。この映画ではそういう人なんですね。
    切れ者感ハンパなし。初めから最後までずっと怖い(T_T)

    でも、なんだか…。
    ギラムに「この仕事が終ったら休暇をとれ。しばらく休め」(原作)と心配して声をかけるのではなく、
    「身辺整理しとけ」だもんね。厳しい仕事なのだ、てことを表したいのかしら。
    時代のこともわかるけれど、別にどこぞのスパイとつきあってるわけでもなし、ええんちゃうん?と不思議だったわ。
    だってゲイは普通に出てきたし。原作。(私が好きなのは、インテリ俗物マーティンデイル!)
    じーっと見てたけど、なんでギラムというキャラクターをそう変えたのか結局よくわからなかった。(女を出すのが面倒だっただけ?)
    仕事のあれこれで疲れ切り、40という年齢にも初めて疲れを感じ、さらに風変わりな女との恋愛にも疲れ気味…、そんな青年期最後の彼(よく働く)を、おじさま方は父親のような目で見守ってたんですけど。原作は。

    そういうの、あえて外してあるのよね。人間同士の少しホッとできる交流や労わり。
    台詞でなくても眼差しだけでもいいのにねぇ。
    そんなのセンチメンタルに過ぎるから?
    いや、歳の離れた恋人と仕事のせいで別れるはめになって、一人俯いて涙をこぼすのも十分センチメンタルよね。やっぱり原作と映画の視点は違うんだなあ。

    そして、大事なビル・ヘイドン。
    あのある種フクザツな矛盾の多いエリートをなぜこういう薄い描き方にしたんだろ。
    これでは、サーカス中の誰もが裏切りに気付いていたにもかかわらず無意識に打ち消してしまうほどの、真実が明らかになってもなお憎むのに苦労するという皆が夢中になっていたヘイドンの魅力、カリスマ性、過去の実績、それが消えてしまったあとの卑小さ、抜け殻具合、などなどぜんぜん伝わらないのでは。彼の絶望とか。
    伝えるのはなかなか難しそうですが。
    ちょろっと出てくるヘイドンの絵も見えないしなぁ。手の入れすぎでいじけてだめな作品になっていた、という未完の絵を見たかった。
    あの短い出番では、演じるコリンも困ってしまったんじゃないかしら。

    で、ラスト。

    ふう~。ジムは何に怒って(悲しんで)ああいう行動に出たのか、あれではわからない。(意味合い変えてる?)
    それよりなにより、なんでスマイリーやギラムがあんな得意げな顔してるのかさっぱりわからない。
    やはり、人格が変わってしまってる。
    いくら原作とは別物と言ったって、あの余韻はどこへ~~(T_T)話かわってるやん!!
    (代わりに、エンドロールで流れる曲がいろいろ伝えてくれてる感じがして良かった)
    いや、黙って原作だけ読んどけ!て叱られることばかりグチグチ書いてるのわかってるんですけど。どーも、無意識に比べてしまうんだなァ。あかん。先に原作読むのは極力避けよう。昔からアタマ固いのだ。

    役者さんは好きなひとがたくさん。
    かつてイカレポンチばっかりやってたゲイリー(好き。つきあい長いから変な親しみを勝手に覚える俳優さんのひとりだなぁ)、もう少しニコっとしたり、焦ったり困ったりしてくれてもよかったのに。コワかったわよ。(あのエスタヘイスが怯えてましたやん)


    このベネ坊ちゃん、かっこいい。


    category: 映画感想

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    ランジェ公爵夫人  




    『LA DUCHESSA DI LANGEAIS』 2007年 フランス・イタリア

    初見。これは…むちゃくちゃ面白かったです。なんじゃこりゃ~~。

    元ナポレオンの部下にして、アフリカ奥地まで探検にも行った英雄モンリヴォー将軍。
    直情的な男である彼を、獲物を狙う眼差しで吟味したあと即行動に移すランジェ公爵夫人。

    社交界においては「英雄だが、陰気でつまらない」と揶揄される男に興味を持ち、脚本、演出、主演女優をこなす監督でもある女は、常に主導権を握りながら、彼自身そして己自身を引きずり出す悦びをゆっくりと味わうことにするのです。
    彼女の感じる官能、いかばかりか!

    無骨で洗練とは無縁の男の素直な反応に応じて台詞や演出を変え、時に本音を品よくまぶしながら己の美学を貫き、欲望を満たしていく女。社交界には見当たらない新鮮な男だもの、時間をかければかけるほど彼女も満たされるはず。同時に自由を感じていたかも…

    焦らされ翻弄される男を演じるギヨーム、うまい!!そして、将軍たらいちいち言うことが可愛い。その風雪にさらされたごつい岩のような風貌もとっても魅力的。(若いときのハンサム顔もいいけど、やはりこの岩石ちっくな渋顔のほうが数倍素敵である。いかにもいかにも残念でならないギヨームさんだ>涙)




    「体面ですって?勘違いなさらないで」の言い方が素敵。彼女の求めているものがわかるトーン。
    めったに触れ合わない二人だけに たまに触れたときは見ているこっちがドキーっとしちゃって、それがまたよいんだなぁ。

    一幕。世俗的に抵抗。二幕。宗教的に抵抗って(笑)
    この作品、監督の(バルザックの?)きわめて客観的な注釈(でもないか)が入るのも面白い。
    いつまでもかみ合わない二人ですけど、怒らせたり喜ばせたりおさらいしたり…で、冒頭の「タホ川の流れ」がくるんですねえ。ここにきて「音楽と宗教と愛は高貴な魂が心情を吐露する必要があるとき三つの形で同じ事柄を現しているのでは?」という台詞が思い出される仕組み。いいわぁ。
    「宗教論争は3か月続いた」って、もう~~^^;
    確かに宗教論争だ。気長い恋だ。耐久力勝負の肉食人種だ。




    しかし、余裕のあった女が苛立ちはじめたとき、主導権はいつの間にか男に移りつつある。
    もっとも、これもぎりぎりまで味わった女が次に自分に課した三幕目のように感じないこともない。
    「別になにもしません」
    実力行使に出たあと、そう言い放つ男。あなたは触れてはならぬ斧に触れたのです。
    夫人は、最高の幸福を味わったのでは。ここまで待った甲斐があった、これこそが自分の追い求めたもの、と。
    男も自分の土俵ではその魅力を最大限に発揮する。このシーンでの男の匂いたつ色気。女の背中で見せるギヨーム・ドパルデューの眼差しもまたいいの。
    サロンに戻った彼女の表情!!世界の色彩さえ変わってしまっている。女優さんうまい!
    そこからはもう公人としての演出など必要なし。心のままに、女のもとへ通ってこなくなった男への感情に溺れるのみです。
    可愛い姪のために理性的で上流階級な助言をくれる伯母(相当な魅力の持ち主!)は、しかし、若い女の気持ちもすべてきちんとわかっているはず。

    5年後のマヨルカ島で、男の気持ちを聞いた女はそれこそ恋の棺を埋めてすべてを終わらせる。悲劇だが、おそらくは悦びのうちに。(原作ではどうなっているのか、ここの女の気持ちを男であるバルザックはどのように描いているのか読んでみないといけないなあ。)

    「お優しい方ね。お若い頃の恋愛経験が女性への寛大な態度を生んだのですわ」
    「寛大ではない」
    「本当に?」
    「女がなんでも喜ぶだけ」
    ランジェ夫人と、常に穏やかなヴィダム・ド・パミエ(ミシェル・ピコリである。伯母と共に魅力的!)の会話にはさすがに一刺しくらったような心持ちになりましたが。

    「前は女だったが今はなんの価値もない。子供のときの絵本のように忘れてしまうんだな」
    「ああ。もはや一篇の詩でしかないからな」
    バルザックったら…。一応、復讐なのかしらやっぱり。
    しかし、むちゃくちゃ面白かった~~。




    どうも、『ベルサイユの子』のギヨームを見てからすっかり惚れてしまった。
    昔『ポーラX』を見たときも好きだとは思ったけど、2006~2008年あたりと思われる時期のギヨームのごつごつした老成した風貌が一番いいな。なんて素敵なんでしょ(T_T)(T_T)なんでもういないんでしょ。

    category: 映画感想

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    めぐり逢う朝  

    20121031_73303.jpg

    『TOUS LES MATINS DU MONDE』 1991年 フランス

    初見。
    わかりやすくギヨームさん目当てで鑑賞し始めましたが、あら、ロクサーヌとシラノだわ♪

    と、まぁそれはそれとして、監督の画のこだわりには唸りました。
    そこに現れるのは絵画のような世界。
    たとえばその陰影、質感はまるでレンブラントです。素晴らしい~。

    さらに古楽器の音色。
    ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)って初めて見ましたが、7弦もある!
    弓の持ち方はコントラバスみたいな感じかしらん?

    「すべての音はピアニシモに向けて終わるのだ」

    そうジェラール・ドパルデューが言うのを聞きながら、いったいどんな話かと見入ったのですが。
    世俗にまみれた私は、はっきり言って隠遁生活しているコロンブがどうやって食べていってるのか気になって仕方なかった!(ダメダメ)
    せめて何度かコロンブ自身がおいも掘ってるシーンとか、薪でもを割ってるシーンを入れてほしかった。
    だって、強い信念のもと俗世間から離れ田舎で自給自足してるようでしたから、それならそれで力づよい「生活」のシーンは必要だろうと思って。(まぁ、馬は売ってたけど)生きてるんだし。
    働いてるのはいつも娘さん2人だけで、コロンブは掘立小屋に籠って死者(若くして亡くなった愛妻)と語りながらずっとヴィオールを弾いてるのですが。
    掘立小屋を作ってくれた職人さんや、新しいヴィオールを作ってくれる職人さんにだってお代を支払わなきゃならないけど、どうしてたんだろ?とか。(そういう映画じゃないのはわかってるけど気になるのだ!)

    妻の亡霊も、決して娘の幸せについてなどは語らない。いつもコロンブと妻、二人の世界。なぜなら、死者との対話は己との対話だから。
    妹は明るく逞しく家を出て行けてホッとしたけれど、マドレーヌの人生は!?生活は??
    父の娘として立派な演奏者でもある彼女が、一度でも自分自身のためにヴィオールを弾いているシーンがあっただろうか(怒)あんな妄執の塊みたいな表情になってしまって…。ほんとに芸術家っていうのは因果な…。

    この物語は、師弟の確執、音を奏でるについての考え方の相違が描かれてもいるわけですが、

    「あなたは楽器は弾けるが音楽家ではない」

    と、冷たく言われてしまったとき、弟子入り志願でやってきたマレは17歳。
    さらに、ベルサイユで弾いてしまって師に激昂され楽器をぶち壊され決別したときが二十歳。
    ハタチで実力もあって上昇志向でない者がいたらお目にかかりたいですけども。
    師匠はあくまで厳しい、ていうか偏屈。

    それより、弦楽器を雨に濡らしたり、叩きわったりするものだろうか。音楽家が。若造に腹が立っても、楽器はぜんぜん関係ない。奪い取って渡さないならわかりますけど、「楽器は音楽ではない」から壊してもいいの?と、ここが最も受け入れがたかった。
    音楽家がどれだけ楽器を大切にするか知らないんじゃないのか。とさえ思ったな。

    「言葉で語れぬものを語るのが音楽です」はものすごくよくわかるけれど、「だから俗世のものではない」は考え込む。
    「音楽は死者への贈り物。言葉なき者たちへのささやかな慰め」、それもわかる。
    かつて自分を愛し尽くしてくれた女を苦しめた上に死なせた罪を悔い、人生を振り返り、師の「音楽」を理解して初めて本物の師弟になれたコロンブとマレというのもわかる。

    でも、それでは「音楽」は「生者への贈り物」とはなりえないのだろうか。師匠の憎む俗世間で生きて苦しむ者たちへの慰めには?
    師がもしも妻を亡くしていなかったら、彼の「音楽」はどういうものになっていたのだ?そこへ弟子入り志願のマレがやってきたら?

    何より、「わたしの相手は冥界にいて年を経た人ばかりだ。わが曲をこの世の人に聴かせて語り合いたい。それが願いだ」というコロンブの独白。
    それって、世俗で生きるということじゃないのか。伝えていくってことはそれなしには無理じゃないのか。
    どうも師匠のエゴという部分が、あれこれ気になるのであった。
    やはり俗人には一度見たけでは到底理解が難しいので、まず原作を読むことにしよう。

    役者さんはみなうまいです。コロンブのジャン=ピエール・マリエルは、寡黙なんですが喋るといい声!
    つい気になって見てしまうのは演奏中の左手なんですけど、子ども時代のマドレーヌお嬢ちゃんを演じてた子は楽器をやってる子なのかな。実際に弾いているようにしか見えなかった。
    さらに、お目当てのギヨームさん、のっけで弾く2曲、ものすごく練習したんじゃないかしら。自然な感じで音に合わせて左指が弦を押さえていて素晴らしい。(師匠については言うまい。監督・・・とだけ言いたい)
    お顔は、意外にパパと目が似てるんだなぁと思った次第。色は違うようだけど…。繊細というより素朴な表情をする若くぴちぴちのギヨームがのっしのっしと歩く姿がとても良かった。






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